サルサが生まれた背景についてお話したいと思います。サルサの音楽や踊りは、とても気分が掻き立てられるものです。そんなサルサが一体どのような歴史を持っているのか、ご存知でしょうか?
サルサの発祥
サルサは、20世紀の初め、1930年代頃からその原型が生まれました。もともとは、キューバの酒場で演奏していた音楽でした。その音楽はサルサではなく、「ソン」と呼ばれていました。そのミュージシャン達が、お金稼ぎのためにニューヨークへ行き演奏したところ、大ヒットしました。キューバやプエルトリコの音楽に、アメリカのジャズの要素が加わり、洗練されたものとなったのです。そうして「サルサ」と呼ばれるようになり、その音楽は世界中に発信されるようになりました。それは1970年代のことでした。アメリカや南米を始め、ヨーロッパやニュージーランドにも、世界中に広まりました。日本でも流行し、バーを兼ねたサルサクラブが出来ました。
サルサダンスのルーツ、奴隷が始めたダンスだった?
サルサは、黒人の人が演奏して踊っているイメージがあります。それは、キューバやプエルトリコの歴史に関係があります。キューバとプエルトリコは、長い間スペインの植民地でした。スペインは、西アフリカからたくさんの黒人を労働者として送っていました。その黒人達がもともとアフリカで演奏していた音楽をキューバやプエルトリコに持ち込んだことで、サルサの原型が出来上がりました。
ダンスは、西アフリカからキューバやプエルトリコに来た人々にとって、唯一の娯楽で、唯一彼らのアイデンティティを守る手段でした。彼らは、奴隷として働かされていて、休みの日にだけ踊ることが出来ました。彼らのダンスは、親から子へ伝えられ、幼い子供たちは、言葉よりも先にステップを覚えると言われています。サルサは、踊ることで辛いことや悲しいことを忘れて、心を癒すものでした。だからこそ、感情を表に出し、力強い生命力を感じられるダンスになっています。サルサダンスの基本のステップは、腰をくねって地面を這うように踏みますが、それは、奴隷たちが足に重い輪をかけられた状態で踊っていた名残とも言われています。
日本でのサルサの流行
1)1970年代――サルサの上陸
日本で初めてサルサが演奏されたのは、1976年にファニア・オールスターズというグループが来日した時で、“サルサ”とか“ニューヨーク・ラテン”と言っていたようです。
日本にサルサを紹介した日本人がいらっしゃいます。河村要助さんという方で、職業はなんとイラストレーターです。河村さんは1983年と87年にイラスト付きの本を出版しています。その本を読んでサルサのファンになった人も多いそうです。
河村要助さんの本
○『サルサ天国』1983年出版
○『サルサ番外地』1987年出版
2)1980年代――日本人バンド現れる
1980年代、日本でサルサを演奏するグループが生まれました。「オルケスタ・デル・ソル」です。その弟分として「オルケスタ・デ・ラ・ルス」が1984年に結成されました。正統派のサルサを聴かせる日本人オルケスタとして、アメリカと中南米で人気が出ました。シンガーはNORAさんという女性の方です。その後、1994年にサルサブームとなり、30以上のサルサバンドができ、国内初のサルサダンスコンテストが開催されました。
NORAさんの本
○『人生、60歳まではリハーサル』1983年出版
3)1990年代――クラブがあちこちに出現!
1990年代になるとサルサクラブがオープンし、サルサパーティーが行われるようになります。六本木のサルサクラブ「サルサ・スダーダ」が1993年にオープン、原宿のクラブ「クロコダイル」で月に数回サルサパーティーを開催、名古屋の「エルココ」が1996年にオープンといった具合です。
4)1998年から――サルサ専用雑誌「サルサ120%」
1998年9月から月間で、「Salsa 120%:東京発・ラテンライフを楽しむためのバイブル」というサルサ専用の雑誌が刊行されていました。1ヶ月の全国のイベントスケジュールや、東京のレッスン場の広告、ラテン音楽小話、海外アーティストの来日情報など、ページ数は少ないですが掲載されています。2017年2月号まで刊行されていたようですが、現在は刊行されていないようです。
☆サルサ120%は、一部(2009年12月号~2015年7月号)国会図書館に所蔵されていて、館内で読むことが出来ました。
5)2000年以降――協会の設立
2008年には日本サルサ協会が設立されました。代表を務めているのは、ダンススタジオ
カシーノ代表の武永実花さんです。2010年には、バチャータが人気になり、日本バチャータ協会が設立されます。こちらは、バチャータで有名なRYUさん、LUIS佐々木さん、タッキー&Manonさんが中心に設立しています。また、2013年には日本ルエダ協会も設立されています。ルエダ協会の代表は佐久間義之さんが務めています。佐久間さんはパーカッショニストで、ラテン音楽を得意としていて、ダンスもされています。
ここ数年では、キゾンバのワークショップをよく目にするようになりました。これからもラテンダンス・ラテン音楽の日本での歴史は続いていきそうです。
~はみだし話(サルサが日本へやってくる前のこと)~
中南米の音楽・ダンスで一番早く日本へやってきたのはタンゴでした。それは1914年のことと言われています。戦後間もない1949年にはラテンバンド「東京キューバン・ボーイズ」が結成され、昭和30年代(1955年~64年)には日本でマンボが流行したこともあり、ラテン音楽の人気が高まっていきました。その後にサルサがやってきます。こうした流れの中でサルサも自然と受け入れられていったのではないでしょうか。
まとめ
サルサの生まれた背景や歴史についてご紹介してきました。サルサは陽気でセクシーなダンスではありますが、奴隷達の悲しい歴史の中で生まれたものでした。彼らのアイデンティティを守り、辛く悲しい気持ちを癒そうという思いが込められたダンスなのです。
日本では、ラテン音楽・ダンスは、バブルの頃(1986年~1991年)に流行ったのでは?というイメージがありました。サルサが日本で流行り出したのが1980~1990年代ですので、ちょうどバブル期と被っていますね。
ですが最近では、ラテン音楽を聞く人、聞かない人に分かれている今日この頃です。ラテンダンスを踊る人はごく一部になっています。ラテン音楽・ダンス好きな身としては、もっと同じような人が増えて、もっとみんなと踊れるといいのにな~と願っています。
サルサの歴史は、サルサを愛する人の歴史。そんなサルサビトの歴史を綴っていきたいと思っています。
(ライター Haru)